砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

ねぶた祭りの夏 その2

その事故は五所川原から1時間ほどの道で起こった。


前の晩に遅くまでワイワイやっていたのが良くなかった。
そろそろ東京に向けて帰らなければなず、早朝出発したが皆疲れ果て運転中のバンの中で寝てしまった。
ねぶたの呪いか、寝ブタになったわけだ。


眠気は伝染するようでドライバーの小川君も深い眠りに落ちてしまった。
ほぼ一直線の単調な田舎の国道だったのも良くなかった。
周りは家もない湿地帯だ。


スピードは60キロぐらいにドンドン加速を続けた。
如何なる直線コースもやがて終わりを迎えるのである。
突然、道は丘を回り込むようにカーブしていたが、全員眠りに落ちたバンはそのカーブに真っ直ぐ突っ込んだ。
そのカーブには青森県警の「居眠り運転 危険!」と書いた大きな看板が張られていたが、その看板の文字も虚しくバンはその看板をぶち破り、支える木の柱の一つに突っ込んだ。
(ゴメンナサイ青森県警の皆さん)


すると、その柱は土手沿いに埋められただけだったので、絶妙な角度で傾斜してくれて、あたかもスキージャンプの発射台のように我らのバンを空中に飛ばした。


オジサンは居眠り続けてはいたが、突然身体がフワと浮くのを感じた。無重力状態のようになり寝ぼけてながらも天に昇ったような何とも気持ちが良い感覚であった。
しかし、直後に地獄が待っていた。


ドライバーの小川君の「ギャオン」という叫びと共にバンは地上に叩き着けられた。
バンの中は荷物が飛び散り、衝撃でオジサン達も色んな所に頭や身体をぶつけ、バンの振動が収まるまで痛さとショックで身体が動かせなかった。


すると東大の竹内が最初に起き上がって、動けずにいる他の者を見回してから「お~俺だけは生きている!助かった〜」と叫んだ。
その声に我に返って他の者もワラワラと起き出したが、この一言で竹内の人間としての評価は下がった。


「何が起こったんだ!」と小川に聞くと、彼はハンドルにうつ伏せていた顔を振り向いて「ヤッチャッタ〜」と不気味な薄笑いを浮かべた。
何をヤチャッタのか知る為にバンの外に出ると、バンは湿地帯のど真ん中にある。


瞬間移動をしたかのように外見は無傷だが、道路から20メートルぐらい離れた湿地帯の中にあるわけだ。


バンの後ろを見ると2メートルぐらいのタイヤの滑った跡がある。


すると、はるか向こうの土手上の道路から声が聞こえた。


「おお~ス、スゲーなにいちゃん達、スゲーのを見させてもらったぜ!コリャ」


オジサン達に後ろを走っていたタンクローリーのオッチャンが一部始終を目撃していたのだ。
オッチャンはかなり興奮しながらも、色々手伝ってくれた。
バンのエンジンはオシャカになってしまったので、このオチャンにニッポン レンタカーに連絡してもらう事にした。
(スミマセンでした。ニッポン レンタカーさん)


さて、この事故はいくつかの奇跡か偶然で成り立っている。


もしバンが看板の柱のど真ん中でぶつからないで、右から左にズレていたらキリモミ状態で助からなかったかもしれない。
もし柱が地面にしっかり固定されていて、傾斜しなかったら発射台にならなかった。
落ちた所が広大な湿地でなければヤバかった。


実に100点満点のタイヤからの着地なので専大生1人がねんざぐらいで後は無傷であった。
スピード、バンの当たり所、柱の傾き具合に湿地帯のぬかるみ具合と条件が揃って九死に一生を得たわけだ。
こうしたチョットしたタイミングの違いで人の生死が分かれるのだ。


こうした経験をすると人は人生観が大きく変わるものかもしれない。


この事故の後、皆さん随分勉強に身が入るようになって、卒業後も随分出世されたそうである。
「栄光へのジャンプ」と語る人もいる。


オジサンはと言うとあのフア~と天に昇るような感覚の後の地獄がトラウマになって、ジェットコースターは乗れなくなった。


毎年ねぶた祭を見ながら、居眠り運転にはくれぐれも気お付けようと思うオジサンであった。



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