砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

Y社長を偲んで。

先日、我が社のCEOのY社長がお亡くなりになられた。


ニュージャジーの教会でお葬式が行われ、式場に入る事が出来ないほど参列者が集まり、故人の業績と人柄が多くの人に尊敬され愛されていた事を痛感いたしました。


ほんの一ヶ月ほど前にベガスの居酒屋で食事しながら話したので、ちょっと信じられない思いです。
Y社長はアメリカの日本食業界に大きな貢献をされた方です。


今年の始めに行われたグループの年次総会で、今までの水産関連ビジネスの歩みを社史として編纂し文章で残して欲しいと頼まれました。


しかし「まだ、大丈夫だろう。まず何人かの先輩達にインタビューしてから」と思い手を付けていなかったので、Y社長の御存命中にもう少しお話を伺っていれば良かったと思った次第です。


1970年代にアメリカの日本食ブームが始まりますが、当初は今のような日本食流通ビジネスが発達しておらず、お寿司屋さんも数えるほどしかありませんでした。


今回、アメリカの水産ビジネスの先輩たちが参考文献として送って下さった、先輩達の苦労が書かれたレポートの一部を抜粋してみました。


≪1976年NYマンハッタンでXXインターナショナルがレストラン・魚屋・ハーレムの路上で販売を開始した。
レストランなどにマグロを丸ごと持って行き、その場で解体し柵どりして売っていた。
始めはトロの価値も知らないので、レストランの云われるまま、腹身の大トロを赤身と同じ価格で売っていき、
最後に残ったのは尻尾の部位だけという時期であった。
1976年にNYマンハッタンのxxx市場(築地市場の場外店のような市場)に店を持った。
その頃のXXX市場はマフィアが仕切っていて毎月1000ドルの集金に来た。


こちらが払わなかったので、ある日20人ほどがマシンガンを持ってやって来た。
雇っていたガードマンは逃げてしまい、彼等はドアを破って魚を全部持って行った。


2回目はドアを鉄製にして頑丈にしたが隣の店の壁を突き破って魚を持って行った。


3回目は正面突破で来たが、襲撃を予測して魚を1匹も置いてなかったので計りなど道具類一切を持って行かれた。≫


まさに命がけのビジネスです。


当時は鉄くずなどの廃品回収業はマフィアが抑え、水産業にも幾らかの影響力があったようです。


ただ、それは主にイタリアン レストランなどで使う魚介類を扱うエリアだったので、その後急速に発展してくる日本鮮魚の流通はXXX市場から分かれてブルックリンに会社と倉庫を持つようになったそうです。


また、当時は日本からの輸入のみならず、アメリカから日本の築地などにボストンのジャンボ(本マグロ)を輸出していたそうです。


≪その頃、ボストンマグロの輸入商社は三菱、三井、丸紅やマルハなどがあった。 
最後の時期には新日鉄など40社がジャンボマグロ買い付けに狂操した。他の会社はマグロは浜で漁師から買い付けるのみであったが、我々は釣ったマグロと買い付けたマグロの両方のマグロを市場に出荷していたので、どこの会社より数量と利益があった。
後では出荷先の市場は、札幌・仙台・金沢・京都・大阪・広島・博多と全国の市場に出荷するようになった。
京都のみ食文化の違いか大トロを嫌い、赤身マグロが喜ばれた。


空飛ぶマグロとして日本のマスコミにも大きく報道され、空飛ぶ棺桶とも云われた。 

初めに空輸する時にジャンボマグロを入れる箱がなくて棺桶を木箱に代用した為である
日本での荷の受け取り人はXX水産部で行った。≫


ウ~ン いくら何でも棺桶に本マグロは無いですよね。


先輩の一人が言うには「商売の仕方もよくわからなかったので、ハーレムの街角でザリガニを袋に入れて売ってたら、ポリスに見つかって全部没収された。それからはポリスとの追いかけっこだった」(ザリガニはフランス料理に使われます。)


アメリカの水産ビジネスの始まりはマフィアとポリスに追いかけられるシビアーものだったようです。
そうした水産ビジネスの先駆者達の苦労と努力のおかげで、今のアメリカの日本食ブームを支えるシステムが出来上がったと思います。


社史の編纂は業務指示では無いので、時間を見つけながらですが亡くなられたY社長の為にも始めようかと思っています。


ビジネスの世界ですから奇麗な世界だけではありません。しかし常に人格と品性を持って企業危機や困難を不変、不動、不屈の精神で、乗り越えてこられた社長の姿は高潔なものでした。


社長は代々クリスチャンサムライの家系で「事におよんでは己を捨てて、神様の為に立ち上がる気質を持った侍だった」と何度か御先祖の事をオジサンに話してくれました。


経営学の神様ドラッカーは
『管理者は、高潔な品性をもってこそ、指導力を発揮し、多くの人の模範となりうる。』


と言いましたが、Y社長はまさにそうした人でした。





「死は人生の終末ではない。生涯の完成である。」 ルター

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