砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

迷子の老夫婦

今回の帰省の最大の謎は携帯電話が使えなかった事です。

コロナ前に帰省していた時は空港で携帯をレンタルしていた。

最近は日本のSIMカードに変えれば良いと聞いていたので、空港内の店に行ったのだがどうも話が違う。


「SIM カードでWi-Fi は使えますが、電話会話は出来ません」

「え!何で⁉︎ じゃどうするの?」


「最近は総務省の電波法の改正で難しいようです」


「......,,マジで⁉︎」


流暢な日本語を話す南米系の女性だったが、余り突っ込んで聞くのもなんか気の毒に思い、日本のSIMカードを買った。


要するに電話は出来ないが、LINEやMessagerなどのアプリはネット環境が有れば使えるわけだ。


まあ僕の友人との連絡やアメリカの息子達との会話には問題なかったが、茨城の奥さまの家族は携帯を持ってない。


したがって公衆電話を探して、家に電話するしか無いのでコレは大変。


今の時代は公衆電話などは絶滅危惧種で、駅に行かないと見かけない存在となってしまった。



慣れない手つきで小銭を入れながらの会話は何十年ぶりだろうか。

しかも駅は雑音が多いのであまり聞こえない。


一挙に昭和に戻った感覚である。


もう一つ困るのはタクシーを呼べない。

LINE では呼べないのだ。


しょうがないのでDIDというタクシー呼ぶアプリを入れた。



あまり中国系のアプリを入れたく無いのだが、背に腹は変えられない。


しかし異国の地(?)で携帯電話が使えないのは本当に不便である。


特に都会の人混みの中でお互いを見失ったりすると、もう大変。

最寄りの交番にいくか、店内で迷子のアナウンスをしてもらわなくてはならない。


さすがにこの年齢で迷子は恥ずかしい。



今回一度だけ奥さまとはぐれた事があった。


お互い興味の向どころが違うので、商店街を歩いていていたら珍しい物に目を奪われる事は多々ある。


フッと振り向くと後ろに居ると思った奥さんが居ない!

先を行ったのかと思って駅の方を見ると、それらしき体型のおばさんが歩いている。


追いかけてみると別人だった。


アメリカでは人混みというのはまず体験しないし、髪の色もバラバラなので見間違える事は無いのだが。


アプリで電話するが何故か上手く繋がらない、


「誘拐される年齢でもないし何処かで倒れたか⁉︎」などとオロオロしながら20分ほど探した。


迷子老夫婦の誕生だ。


しばらくして無事見つかったのだが、さすがに奥さま怒ってました。


どうも歩調が違うので僕が先にドンドン行ってしまうのが問題のようだ。


「あんときゃ〜殺意をいだいたね!」と後から言われた。

それ以降は歩調を合わせるように努力いたしました。


しかし、「携帯で電話出来ない」と言うのは本当だったのだろうか?


こちらに帰って来てからネットで調べるとSIMカードを買えば電話出来ると書いてあるし....。

キツネに包まれたのだろうか。


友人に話すとアメリカの携帯会社によっては日本のソフトバンクと業務提供していて、そのまま使えると言うし。


さて来年の為に正確な情報を集めておこう。

「金の成る木」

久能山東照宮には「金の成る木」なる木が有ると言う。

それは本殿の更に上にあり、廟所参道を登って神廟(家康のご遺骸を入れていた)の横の方にある。



「金の成る木あるから行ってみようよ」と奥さんに言うと「ほう〜」と反応したものの、階段のキツさにギブアップ。

一人で登って来た。



コレが「金の成る木」であるが、ココには家康公の逸話があるそうだ。


徳川家康が家来に「世の中には金の成る木があるそうだが誰か知っているか」と尋ねた。


皆首を傾げていると木の幹を描き、これに三つの枝を描いて

一つは「よろずほどよ木」=全てほど良き

二つ目「しょうじ木」=正直

三つ目「じひぶか木」=慈悲深き


と描き「どうじゃ、他にあろう」と聞くと細川忠興が、さらに左右に


「あさお木」=朝起き

「いさぎよ木」=潔き

「しんぼうつよ木」=辛抱強き

「ゆだんな木」=油断なき

「かせ木」=稼ぎ

「ついえな木」=潰えなき(疲弊しない)

「養生よ木」=養生して健康を保つ

「かないむつまじ木」=家族が仲良くする

と書いたそうだ。


それを見て家康公は「この木を守らば富を得られ、末長く繁盛するであろう」といい、家臣に対し帰ったら家中に広めよと命じたそうです。



わかっている様で中々意識してないと、自分の「金の成る木」は成長しませんね。

盆栽サイズかな〜


どうも「やる気な木」とか「短気はそん木」「うつろ木」「よわ木」などが雑草の様にまわりに生えて来てイカンですな。


意識を高める為に「金の成る木の御朱印」を買って来ました、700円です。


特に奥さまは「かせ木(稼ぎ)」の枝が大きく伸びるのを願っている様だ。


とりあえず「無駄使い無木」ように気を付けるとしよう。

久能山東照宮

日本平に行ったなら久能山東照宮に行かない手はない。

今は日本平からロープウェイで行けるので楽ちんだ。


小学生の遠足で来た以来だが、海岸側から地獄の階段を登った記憶がある。



1159段なので「いちいちごくろうさん」とも呼ばれるそうだ。


遺言により徳川家康の遺体を最初に埋葬された地でもあり、その後に日光東照宮に移る。



武田信玄の支配下の城だった時もあったので、軍師山本勘助の掘った「勘助井戸」があった事は小学生の記憶として覚えていた。


確か「おい、井戸に石を入れるな!勘助さんに怒られるぞ!」と先生に叱られたので覚えている。


当時は勘助さんと言う人が近くで見張っているのだと勘違いしていた。


当時の技術と芸術が凝縮された社殿は国宝に指定されただけあって荘厳である。



詳しい事はネットで検索出来るので書くのは控えておいて、僕がヘ〜と思ったのがガンダムなどのプラモデルが奉納されていた事だった。



なんだこりゃ〜と思い、説明書を読んでん見ると。


当時この東照宮造営に際して、全国から優秀な職人が集められました。彼らは完成後も静岡に残ったそうで、雛人形、木工細工などに携わり技術を磨いたそうです。

その技術が昭和になってタミヤ、ハセガワ、フジミ模型などの世界的模型メーカーに発展したそうです。




確かにガンダムで有名なバンダイの工場も近くにありますね。


400年経っても技術が受け継がれた事に感銘しました。



また続ます。