砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

「人生の踏絵」その2

10年ほど前になりますが、仕事の関係で天草に行った事がある。

天草は養殖漁業が盛んで、ハマチや本マグロの養殖場を視察させて頂いた。


海からの帰り道に漁村の中に、突然とゴシック式の教会が見えた。



思わず写真を撮る私に、業社の社長さんが「見て行きますか?」と聞いてくださったので、お言葉に甘えて1時間ほど見学させて頂いた。


「海の天主堂」と呼ばれる崎津教会だった。


中に入ると礼拝堂が畳敷きであるのに驚いた。


説明書を読むとこの漁村は1638年の禁教令以降、2世紀を超えて「潜伏キリシタン」として信仰を守って来た人達の集落でした。


この教会は昭和6年にフランス人宣教師のハルブ神父によって再建されたそうです。

建てられた場所はハブル神父の強い希望で、宗教弾圧の象徴であった「踏絵」が行われた庄屋屋敷跡でした。

多くの信者を苦しめ迫害した「踏絵」場の上に現在の祭壇が配置されたと言わているそうです。



彼らの信仰の強さに畏敬の念を抱きました。


遠藤周作氏の「沈黙」で描かれた惨劇がこの静かな漁村にもあったかと思うと祈らざるをえませんでした。


200年を超える(正確には240年)の国家的宗教弾圧の中でも、信徒達は知恵を出し合いながら信仰を守って来たそうです。

例えば集落の山側の「崎津諏訪神社」は禁教中、信徒は氏子となって密かに祈りを捧げたり、仏教徒を装いながらも参拝時は「アーメン デウス」と祈っていたと言われてます。


たとえ「踏絵」も信徒達は形の上では苦渋の思いで踏んだとしても、内心の信仰は失う事なく代々粘り強く繋いできたのでしょう。


小説「沈黙」の主人公ロドリゴ神父も拷問で苦しむ信者を救う為に「踏絵」を決意しますね。


すり減った銅板に刻まれたイエス様の顔を痛みを耐えながら踏もうとすると、踏絵のイエスは長い沈黙を破り始めて語りかけます。



「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番知っている。踏むがいい、私はお前達に踏まれる為にこの世に生まれ、お前達の痛さを分つため十字架を背負ったのだ」

とイエスが神父に語りかける場面があります。


すり減った「踏絵」は多くの信者の涙と血を流させた理不尽な宗教弾圧の象徴として、今も僅かながら現存しているそうです。


「沈黙」を改めて読んでみて「そんなドラマがあの崎津集落でもあったのかな」と写真を見ながら思い起こしました。


この集落は2018年に潜伏キリシタン関連遺産として「世界遺産登録」が決定したそうです。


この世界の小さな片隅の彼らの不屈の信仰が、長い年月を超えて世界に知られる事を願います。


もし機会があればもう一度足を運んでみたいですね。




「人生の踏絵」

メモリアル ディーはロサンゼルスで過ごした。

今回は飛行機だったので、少し気が楽だった。


空港の待ち時間や飛行機の中では本を読む事にしているが、今回手に取ったのは遠藤周作氏の「人生の踏絵」



この本は遠藤周作氏の講演録ですが、名著「沈黙」が書かれたキッカケが書かれていた。


氏が長崎をぶらぶらしていた時、十六番館と言う資料館の中で踏絵を見つけたそうだ。


踏絵はキリストが描かれた銅版が木板にはめられた物ですが、その木の枠にペタッと黒ずんた足指の跡がついていた。

1人ではつかないだろうから何百人、何千人が踏んでついたのかも知れないが「あの脂っぽい足指の跡はどんな人のだろう。誰が踏んだんだろう。どんな気持ちで踏んだんだろう」と思いがわいて調べ始めたのが小説「沈黙」を書き始めたキッカケだそうです。


「沈黙」の主人公ロドリゴは宣教師ジュゼッペ キアラ神父がモデルですが、日本宣教の苦難と迫害、そして殉教は映画化された「沈黙」の中でも克明に描かれていました。




キアラ神父の墓は調布の神学校の庭にあるそうです。

遠藤氏もこの墓を訪ねて「なぜ司祭が踏絵を踏んだのか?」を思い巡らせ小説を作っていったのでしょう。





遠藤周作氏の講演の中でこんなセンテンスがありました。

「私たち一人ひとりにも「時代の踏絵」「生活の踏絵」「人生の踏絵」がある」

「多かれ少なかれ、自分の踏絵という物を持って生きてきたはずです。...その自分の踏絵を踏んで行かないと生きて行けない場合がある。...」


私もチョット考えさせられました。


「私の人生の踏絵って何だろう?」って。


踏んではいけない大切な物、神聖なものとは???


そしてそれを踏ませようとする圧力、さらには踏絵を踏まなければ生きてない不条理。


さて、今日会社でおもむろに遠藤周作「人生の踏絵」の本をバックから出したら、隣の新入社員が「お〜随分とお硬い本読んでますね〜」と言う。


「いや、狐狸庵先生の部分も出てるから面白いよ」と答えた。

兄が一時期遠藤周作氏の「狐狸庵先生シリーズ」をよく読んでいたので、私も読み終わった本を借りて読んでいた。


ついでに彼に「君にとっての人生の踏絵ってなに?」って何気無く聞いてみた。


「え!僕の場合の踏絵はほとんど妻に出されますね。でも「踏絵」では無くって「地雷」ですね」と返ってきた。

さすが阪大出身、頭が回る。


彼が「人生の地雷」を踏まない事を祈ろう。


私自身にとっての「人生の踏絵」は何であり、それを踏んで生きるか踏まないかは、もう少しじっくりと考える時間が必要と思いました。

愛は人を変える。

夕方ニューヨークに居る息子から電話がかかって来た。

「お父さん、どう?元気?」


彼がこうした電話をかけてくる時は、たいがい彼自身が元気のない時である。


「あゝ元気だよ、そっちはどうだい?」と聞くと「実は〜」と話しが始まった。


どうやら長男夫婦の愛猫モモが癌と診断されたようだ。


もう老年期のメス猫なので、目も良く見えなくなってきているので寿命と言えば寿命なのだ。


元々嫁さんの飼い猫(厳密に言えば友人から預かったままで棲みついた)なのだが、結婚して身一つでロスからニューヨークに移った息子の心の安らぎだったようだ。



ロサンゼルスにいた時は、あんなに猫が好きだとは思いもしなかったが、今では心の友。


彼が就職で悩んでいた時や、仕事で疲れて帰って来た時に愛猫モモが随分と慰めてくれたそうだ。


「獣医は手術や抗がん剤治療もあると言っているけど、どうしようかと思っているんだ。

昔のお母さんのキモセロピー(抗癌治療)も大変だったし〜」

いったい猫と自分の母親の治療を重ねるとは、なんちゅう息子だ⁉︎


しかし、そんな事を言ってはいけません、彼にとってモモは家族なのだ。


「いや〜手術をしても、もう高齢だし辛いと思うよ。

美味しい物を食べさせて、天寿を全うするまで愛してあげたら良いんじゃないかなぁ」と私はアドバイスした。


すると息子は「そうだねワイフと話したんだけど、モモ(猫の名前ね)に蟹とかマグロの中トロなんか食べさせてあげようと思っているんだ」と言う。


人間様も余り食べれないそんな高級な物を食べさせてあげて、もう十分幸せな猫じゃあないかと思いました。



私が「心から愛した動物は、死んでからも霊界で会えるみたいだよ。愛情は全ての垣根を越えるからね」と言うと、

そうした話に無頓着だった息子が、電話の向こうでウンウンと頷いている。


愛は人を変えるんだなぁ〜


社員で愛猫家の女子とこの話しをすると「私も愛猫が死んだ時は、心の整理の為に会社にお休み頂いたんです」と言う。


私も奥さんも農家出身なので、家には犬も猫もいたけど、そこまでの思い入れはなかった。


農家では犬は番犬として、猫は天敵であるネズミを取ってくれる家畜と言うコンセプトがあるからだろうか。


ペットに対する愛情のレベル アップに時代を感じました。


愛する事で一つになり、家族に成るんですね。