砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

庭に咲く純白の薔薇

この2,3日さすがのベガスも冬模様でどんより寒かったが、今日は朝から晴れ渡り裏山がキレイに見えた。
寝具を天日干ししたり、久しぶりに教会に行ったり、未だ腰が弱いので無理が無い程度に身体を動かした。
庭の木々はすっかり冬を感じさせるが、ただ白いバラだけがしっかり咲いていた。
何故、こんな純白なるものが土から生えるのか不思議に思えた。
心が洗われる美しさであった。
白薔薇の花言葉は「深い尊敬、純潔、約束を守る」などだそうだ。

今日はNHKの「100分de名著」の内村鑑三を学んだ。
彼の書いた「代表的日本人」は海外に日本の精神性の深さを世界に知らしめようと英語で書かれた本だが、そこで5人の日本人を紹介している。
「西郷隆盛」「上杉鷹山」「二宮尊徳」「中江藤樹」「日蓮」の5人だ。
天命に従って無私の心で為に生きた日本人である。
キリスト者である内村鑑三が日蓮の生涯と自らを重ね合わせていた事は驚いた。
得てして変革者は時代から理解されず迫害される事がある。


第四話で語られた
内村の有名な講演「後世への最大遺物」には感動した。


我々が50年の生命を託したこの美しい地球、この美しい国、この我々を育ててくれた山や河、我々はこれに何も遺さずに死んでしまいたくない。何かこの世に記念物を遺して逝きたい。それならば我々は何をこの世に遺して逝こうか。金か、事業か、思想か、これいずれも遺すに価値あるものである。しかし、これは何人にも遺すことのできるものではない。またこれは本当の最大の遺物ではない。それならば何人にも遺すことのできる本当の最大遺物は何であるか。それは「勇ましい高尚なる生涯」である。



その「勇ましい高尚なる生涯」の意味するのは


「この世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。」


そして、これに、「その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。」           「後世への最大遺物」から抜粋


オジサンもお金も、事業も思想も後世に残せる訳では無いが、でもそんな物が何も無くても「未来を信じ、希望を持ち、真面目に生きるのが後世への最大の遺物」と言われたら出来るかもしれない。
人間は樹木的成長をする。今は芽が出なくても,実も花も咲かなくとも、頑張って生涯を終えれば後世に実も花を咲かすかもしれない。


「我々に後世に残すものが何もなくとも、(中略)
アノ人はこの世の中に活きている間は真面目なる生涯を送った人であると言われるだけの事を、後世の人に残したいと思います。
とこの講演を締めくくっています。


オジサンも若い頃は色々野望があって、お金持ちになりたいとか、有名人になりたいとか思ってましたが
今や小市民として生きる初老のオジサンでも「真面目に生きる事自体が後世への最大遺物になる」と言われると何か救われたような気持になった。


ちょうど今日の朝、殺風景な庭に凛として咲く純白の美しい薔薇を発見したような嬉しさである。

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