砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

人間は成長しているのだろうか⁉

今日は食事を作ったりYOU TUBEを見たり、調べ物をしている内に時間が経ってしまい日記ブログは簡単に終えようと思う。


え、YOU TUBE で何を見てたかって⁉
夕食を作っていた時は「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」面白いし為になるよ。


その後は『英雄たちの選択』「古代史ミステリー巨大古墳の国家戦略 半島危機と倭の五王」 面白かった!日本人は古代から大陸との関係で試行錯誤した来たんだな~。


オジサン歴史好きであります。
「すでに終わった事を学んでなんとする」とおしゃる方もいますが、
イエイエなんの‼ 
人は同じような過ちを繰り返していますから、学ぶものは多いですよ。


ドイツの鉄血宰相ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言われます。
かつての「その時歴史は動いた」も多くの事を勉強させてもらったが、この「英雄たちの選択」も良いですよ。
歴史は変わらないと思われがちだが、最新の研究で古代史の謎も色々解明されてきている様です。


科学技術は生活を便利にし、スマートホーン、スマートカー、スマートホームとこれからもドンドコ発展してゆくが、人間の本質的部分の成長は2000年、3000年前とさほど変わってないかもしれません。


2000年前の聖書に出てくる人々の心の動き、矛盾性、善悪の葛藤は今も共通している様に思います。
2500年前プラトンが『国家』の中で当時の若者、教師に対する嘆きを書いているが、それは現代にも共通するものです。下記は『国家』からの抜粋ですが、当時の快楽に走る青年たちを批判して


「こうしてついには、思うにそれらの欲望は、青年の魂の城砦(アクロポリス)を占領するに至るだろう。学問や美しい仕事や真実の言論がそこにいなくて、城砦が空になっているのを察知するからだ。これらのものこそは、神に愛される人々の心の内を守る、最もすぐれた監視者であり守護者であるのに」
 「まさしくそうですとも」と彼。
 「いまやそれらのものに代わって、思うに、偽りとまやかしの言論や思惑が駆け登ってきて、そのような青年の中の同じ場所を占有することになるのだ」

....


こうして、〈慎み〉を『お人好しの愚かしさ』と名づけ、権利を奪って追放者として外へ突き出してしまうのをはじめ、<節制>の徳を『勇気のなさ』と呼んで、辱めを与えて追放し、<程のよさ>と締りのある金の使い方を『野暮』だとか『自由人らしからぬ賤しさ』だとか理屈をつけて、多数の無益な欲望と力を合わせてこれを国境の外へ追い払ってしまうのではないかね」
....


「そしてこのまやかしの言論たちは、それらの徳を追い出して空っぽにし、自分たちが占領して偉大なる秘儀を授けたこの青年の魂を洗い浄めると、つぎには直ちに、<傲慢><無統制><浪費><無恥>といったものに冠をいただかせ、大合唱隊を従わせて輝く光のもとに、これを追放から連れもどす。<傲慢>を『育ちのよさ』と呼び、<無統制>を『自由』と呼び、<浪費>を『度量の大きさ』と呼び、<無恥>を『勇気』と呼んで、それぞれの美名のもとにほめ讃えながら──。 」
 
更には指導的立場にいる教師に対してもプラトンの批判は続く

「先生は生徒を恐れてご機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育係りの者に対しても同様の態度をとる。一般に、若者は年長者と台頭に振舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、面白くない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちを真似て機智や冗談でいっぱいの人間となる」


確かに先生のみならず、いい年した大人が若者ぶる傾向はありますね。耳が痛いところだ。


古代民主主義の問題を批判しているが、恐ろしいほど現代にも共通する内容である。
「歴史は繰り返す」のか⁉ (ローマの歴史家クルティス=ルーフス)


歴史が綴られても、人は2000年前から成長してなかったりして....。


科学技術が外的に発展している分、内的人間性の発展も必要とされる現代社会とオジサンは思う。

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