砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

人生はドラマなり。

青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの、青春時代の真ん中は道に迷っているばかり。
森田公一とトップギャランの昭和のヒット曲である。
突然、ふと頭に浮かんだフレーズだが、確かにそうだったな~と思うわけです。
振り返れば少年時代から道に迷い青年、壮年、中年を超えて、いまだ道に迷っているかもしれないオジサンです。人生の迷い人か⁉


何故迷うかと言うと交差点が多いのと、正しい地図が無いからです。
聖書に「盲人が盲人を手引きする」とありますが、目覚めた人(ブッタ)では無いので(昔から目が小さくて開いてないと言われる)Google Mapの様には道筋が分からない人生ですね。
まあ、はじめから全て分かってしまっていても面白くは無い訳ですが。



その交差点は二者択一の場合が多く、どちらが正しいかは結果が出ないと分からない、しかし必ずどちらかを選ばなければならない時がある。
少なくとも言えるのは「選択の動機」が正しければ後悔は無い(....さほど無いと思う)

ビジネスの成功の鍵も「選択と集中」と言われる。何を選択し、何に集中するかで決まる。人生も同じかもしれません。


その一つ一つの積み重ねが自己創造となるし、ドラマを作ってゆく。
「自分の人生というドラマの主人公は自分自身である」とカッコイイ事を昔、誰かに言われたことがあるが、小さいながらも「ハッピーエンド」、出来れば「愛と感動の物語」にしたいものである。
「コメディー」でも良いが、少なくとも「悲劇やサスペンス」にはしたくない。


こんなこと書くと奥様から「何、人生語っちゃってるのよ!」と冷ややかなコメントが来そうだが、オジサンも60年生きて来たので何か語りたいのである。
誰も聞いてくれないのだから、せめてブログで語るぐらいは許されるであろう。


感動するドラマには、「困難の中でも夢(仲間)を信じる」「苦しくても希望を失わなず」「人(仲間)を愛し続ける」の3点が入っている。
聖書のコリント第一の手紙に「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この3つである」と書いてあるがその通りだ。


多くの日本人は宗教アレルギーがあるので「信仰」と言う言葉に胡散臭い物を感じるが
へブル書に「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認する事である」と書いてある。
盲目的に神様や誰かを信じる祈る事では無い。
自らの夢の実現を信じ、確認する事も「信仰」である。
親がダメな(に見える)子供が将来リッパに成長する事を信じ、希望を持ち、愛し続ける事も「信仰」である。
昨日話した「陸王」の中にも、この信仰と希望と愛がある。


私も英語で「Have a faith」と息子たちに言う。「自分を信じろ」「可能性を信じろ」
と言うのもFaith(信仰)である。
加山雄三も「僕の妹に」の中で「信じる事は、愛する事さ君ならできる~」
と歌っているのも信仰と思う。


くどくなったが、残り少ない人生、迷いながらも「信じ、希望をもって、人を愛し続ければ」オジサンの人生も少しは良いドラマになるかもしれない。
今回始まったドラマ、西郷(セゴ)どんの「敬天愛人」の精神で行こうかな。

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