砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

渋柿や 馬鹿の薬になるまいか

久し振りにLAに帰った。
基本月1で帰っているが、今回は長く感じた。
奥さまが最近オジサンの体調が良くないのではないかと心配してくれたが、思い当たるフシがある。
10月31日のハロウィンの為にチョコレートやキャンディーを買って、仮装した子供達にあげようと待っていたが誰も来ず、余ったお菓子を全部食べてしまったのだ。
糖尿のボーダーなので、自分ながらに馬鹿だなと思う。


引っ越す前はそれなりの住宅地だったので「Trick or treat」の声を聞くことがあったが、今はゲート付きのアパートなので訪問する子供達は無かった。


年を取ると甘過ぎる菓子は身体に良くない。
菓子の字の如く果物ぐらいの甘さが丁度良いのであろう。


昔の人はこの時期は渋柿を甘い干し柿にして、甘さへの渇望を満たしていたようだ。


昨日奥さんと日系マーケットに行ったら、干し柿が売っていた。
干し柿を見ると昔の女性の友人の言葉を思い出す。
「三島由紀夫によると、おしゃべりな女を黙らせる方法は干し柿を食べさせておくけば良い」との事だったのだ。
文学少女の彼女が三島氏の本から見つけたか、テレビか何かの座談会での言葉だったのか定かでは無いので本当かどうかは疑わしい。


一つ買って帰って食べたが、確かに懐かしい味だ。
不思議な事に甘柿を干しても、この渋柿から作った干し柿の甘味には敵わないそうだ。


渋柿は干し柿にする以外には、焼酎に漬けて食べる方法もある。
実家が農家だったので、渋柿を焼酎につける手伝いをした事を思い出す。


正岡子規が弟子をからかって「渋柿や 馬鹿の薬になるまいか」と言う歌を詠んでいるが、渋柿は頭を勝ち割れれたようなインパクトがある渋みである。
甘柿と思って渋柿を食べてしまった時の衝撃的な渋みは、今でも脳裏に焼き付いている。

甘柿と思って食べるので、あたかも「明日のジョー」に出てくるクロス カウンターのように、えぐり込むように渋さが顔面を打ちすえるのだ。


なんで子供の頃よく間違えて渋柿を食べてしまったのか考えた。
記憶の扉を開いて行くと、どうも誰かが「セイちゃん、コレ甘柿だから食べてみな〜」と渋柿を渡されたような気がする。
オジサンの推理が正しければ兄だったのではなかろうか。


確か2,3回引っかかったオジサンもずいぶん馬鹿である。
渋柿は馬鹿の薬にはならなかったのでようだが、眠気を覚ます薬ぐらいには良いかもしれない。


そんな渋柿を美味しく食べる方法を探し出した先人の知恵に頭が下がるのであった。


 澁柿やあら壁つゞく奈良の町 -子規-


故郷の情景に、柿は良く似合いますよね。

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