静岡にて
静岡の実家に帰った。
今回は母の米寿の御祝いに3兄弟の家族が集まるという、個人的には世紀のイベントであった。
弟とは顔を合わせることはあっても家族揃って会うのは久しぶりであった。
年に1回しか帰郷しないから仕方がない。
残念ながらオジサン(私)の子供たちは連れてこれなかったが,15人(+幼児2人)で祝うことが出来た。
曾孫を含めて集い、母も喜んで下さった。
オジサンの2人の息子にロスからビデオメッセージを送らせたが、ほぼお笑い漫才師のようなでき上がりで、誰かが「ケン コスギ」のような話し方だな」とのコメント。
アメリカ人のだから仕方あるまい。
兄弟も顔を合わせると「お互い年を取ったな」と感じる。
正確には「お互い歳を重ねたな」かな。
それぞれの家庭を持ち、違う事情の中で家族を養い働いてきたのだから、シワの中に白髪の中に木の年輪のように苦労は刻まれるものである。
まあ、それなりに元気そうで何よりだ。
米寿を迎えた88歳の母が祝いの中心だが、そこに曾孫がいると自然ともう一つの中心になってくる。
オジサンも叔父ではなく大伯父さんになってしまった。
5歳児のエネルギーは60を越えた大伯父にはついていけないモノがあるが、その大変さも楽しいものがある。
童心に帰る事ができる時間を頂いたような感じだ。同じ事を一人でやっていたら怪しい人になってしまう。
前に読んだ本にこんなことが書いてあった。
「どんなに頑固で偉いお爺さんでも孫と遊ぶと、孫を喜ばせようと威張った顔を崩して孫を笑わそうとする。家族の愛の絆はそうした所に表れる。」
親子三代の絆についての文脈の一つだが、この年になると納得する。
老人は若者からエネルギーを貰えるに違いない。
オジサンも早くジジイになりたいものである。
祝いの宴は山海の珍味を集め、楽しく終えることができた。
オジサンの奥様は「あのマグロは美味しかった~ 久しぶりに美味しいもの食べた~」と思い出しては3日ほど言い続けていた。
魚屋の勘では近海物の鮪に違いない。
弟夫婦も甥や姪たちも帰り、オジサン逹も明日には奥さんの実家の茨城に行くが、最後に猫のクーと戯れて童心を続ける。