砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

生死問答

今日はLAだ。


日曜日は基本的に家族でチャーチに行くようにしているが、今日はスケジュール的に難しかったので家庭礼拝となった。


オジサンは夫であり父であリ、魚屋でもあり家庭内祭司長(ユダヤ教的に言えば)でもあるわけだ。
アメージング グレース(賛美歌)を歌ったあと、息子達に話したのはオジサンが27歳の時に謎の熱病で病院の集中治療室に入れられた時の不思議な話である。


古い話だが先回ブログで病気の事を書いてたので思い出した。


なぜか発熱して下宿に倒れていたが、熱が40度から下がらないと脳をやられてヤバイという事で友人に運ばれて入院した。


血液検査をしたりして原因を探せどわからない。
新種のウイルスだったら危険なので集中治療の個室に入れられた。
ホテルみたいに綺麗な部屋だったが隣はナース ルームで窓越しにこちらが見える。


ナース ルームでは朝は賛美歌を歌ってからミーティングを始められていた。


この大塚にある病院は「基督教医療奉仕会」として設立されたそうで、熱にうなされていても、迎える朝に聞こえる賛美歌の清く美しい歌声が唯一の楽しみであった。


ドクターが言うにはこれ以上熱が下がらないと命の危険があるので大学病院に移る必要があると言う。


田舎の母も連絡を受けてビックリして叔母さんと一緒に訪ねて来てくれた。母にはずいぶんと心配を掛けてしまった。


8日目の夜だった。
「今夜がヤマ場だ」とドクターから聞いた気がした。


熱で意識は朦朧として全身の力が抜けて行く、目が覚めているのか寝ているのかも定かではない。
夢なのか幻だったのかも分からないが、不思議なビジョンを見た。


オジサンは暗い地下室のベットの中に横たわっている。まるで墓の中だ。
地下室に降りて来る石段の方だけボンヤリと灯りがある。
その石段を不気味な足音をたてながら何か黒い人影が降りて来る。


悪霊であった。


その悪霊が近づいて来た時には、流石にもう終わりかと思った。


すると悪霊はオジサンの心に響く様な深い声で問いて来た。


「お前は何の為に生きるのだ⁉︎」


この悪霊の「生死問答」の答えを間違えたら、確実に魂を持って行かれると思った。


....ここでオジサンは礼拝を聞いていた二人の息子に尋ねた。
「君達だったら何て答える?」
答えは返って来なかった。会社のボスからの質問なら「会社の為」と答えるかもしれないが、相手は悪霊である。


メフィスト フェレスかベリゼブルかあるいはその下っ端か分からないが、オジサンは必死で、そして心の底から「オレは神の為に生きる!」と叫んだ。

それ以外の答えは見付からなかった。

するとその悪霊は消えてゆき、オジサンは深い眠りに落ちた。


次の朝、ナース達の美しい賛美歌の声で目覚めた。
賛美歌はアメージング グレイスだった。


そして、その日の朝の検診で熱が下がっているのがわかった。


この悪霊と交わした生死問答は、少なからずもオジサンのその後の人生に影響を与えている。
「神の為に生きる」と言っても、神様と直接の交流が出来る訳では無い。
だからオジサンは「本心(良心)の声に忠実に生きる」と決めた。


本心(良心)はあたかも心のコンパスの様に善(神)を求めているからだ。


そんな思いもあってか、長男の卒業お祝いのギフトも「心のコンパス」でした。
(安く済ませてしまった)


実はこの大塚の病院はオジサンが退院した後、海外医療奉仕活動の功績が評価され1991年にマザーテレサの施設訪問を受けている。


その事を息子達に伝えると「イヤ〜惜しかったねお父さん、その時に入院してれば手の一つでも握ってもらえたかも。」


そんなタイミングよく病気になるものでは無いだろうと思ったが、確かにチャンスを逃したかもしれない。


息子達には表面的な生活の目的では無く、本質的な部分で「お前は何の為に生きているのか?」と自らに問う事の意味を理解してくれただろうか。


オジサンの「この不思議な体験」の話題が家庭礼拝の後のレストランで出るかと思ったが、サンデーブランチでは息子達は唯々パンケーキをむさぼっていた。


今度日本に帰省した時に時間があれば、あの大塚の病院にも足を運んでみたいと思う。

あの賛美歌は今でも歌われているのだろうか。

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