砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

偕楽園の梅まつり

「水戸の偕楽園の梅まつりに行きたい」と奥様が言う。


オジサン達はここ数年、日本に帰省しているが大抵は秋だ。
家族や会社の諸事情から秋が一番都合が良い。
子供たちが小さい時は夏休みに帰省するしかなかったが、まだオジサン夫婦も体力があった時なので何とかなった。しかし今の体力で夏や冬に帰ってサバイブ出来る自信がない。


日本の秋は美しい。2年前は上高地に行ったが夫婦の良い思い出になった。紅葉には少し早かったが十分楽しめた。


さて偕楽園の梅まつりに行くとなると、春に帰らなければならない。(3月31日まで)


確かに、身体が動ける内に日本の春も見ておきたい気がする。
昨年、帰省した時、偕楽園に行ったが好文亭の後に見事な梅の並木道を見た。
もちろん花は咲いていなかったが、春の訪れを告げるかのように可憐に咲く梅の花を想像し、さぞ美しい景色になるだろうとなと思った。


「春も帰ろうよ」と奥様が言う。オジサンは仕事などの現実のスケジュール調整に頭を使っていると。
「わたし、梅むすめに応募しようかしら。」と唐突に奥様がおしゃる。
「梅むすめ」とは今は「梅大使」と呼ばれるが、梅まつりの期間公募で10人選ばれるキャンペーンガールの事である。
「.........................」遠藤周作『沈黙』であった。
「何よ!応募するのは自由よ、言ってみただけよ。」とおしゃる。
確かに自由である。
まあ、歴代の「梅むすめ」を見てみたが30年前だったら可能だったかもしれない。
最近はかなりレベルアップしているから難しいだろう。
そもそも、年齢制限があると思うのだが..........。


この季節「梅花」の話をすると、ある一つのセンテンスを思い出す。


「僕は人気のある桜の花より、梅の花が好きだ。寒い冬を超えて最初に咲くのは梅の花だ。
あたかも主イエスの前に、主の道を備え、その道筋を直くする洗礼者ヨハネのように、桜の開花の前、梅は春の訪れを里に優しく、そっと、そして可憐に伝えてくれる。」



これは35年前に教会の先輩がある女学生にしたアドバイスの一文であるが、その当時彼女が何を悩み、何のガイダンスを受けたかは知る由も無いが、その言葉に彼女は涙が止まらなかったという。
オジサンは彼女から、この事を聞いたが何しろ35年前なので詳細は忘れた。しかし、梅の花を思うと、この一文を思い出す。何故か心に残るセンテンスなのだ。


残念ながらロスでもネバダでも梅の花は見た事が無い。桜はあるが梅はあるのだろうか。
だから、春になると桜より梅の花が見たくなる。
いつか近いうちに奥様と偕楽園の梅まつりに行ってみたいと思う。
「 ゆかしくも 冬おしのけかおる 梅の花 」
          〈オジサン心の俳句〉

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